006 カエルは偉大なり

もうちょっとカエルの話を。

カエルは両生類ですから、水のない所では生きていけません。田んぼ、溜め池にはたくさんのカエルがいます。で、雨が降ると、カエルの大冒険が始まります。道路にいっぱいカエルが出てきて、車にひかれ、おおぜいのカエルちゃんが犠牲になります。私もたくさんひきました。ごめんなさい。

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と言う前に、なんでわざわざ田んぼや池から出てくるの? あほちゃう? せっかくちゃんとした環境があって暮らしているのに、どうしてわざわざ危険を冒す?

なるほど、田んぼや池にはヘビなんかがいて、命を狙われています。でも、水の中にいるからこそ逃げることもできるわけで、水から出てしまうと、なおいっそう天敵にやられやすくなります。どう考えても、あ・ほ・ちゃう???

さて、カエルちゃんたち、住んでいる田んぼや池から、1匹も出ないとしましょう。みんな、「安定」とやらを求めて、危険をおかさず、冒険もせず、無難に、無難に生きているとしましょう。たぶん、というか、間違いなく、愛すべきカエルちゃんたちは、絶滅します。環境はさまざまに変わります。一定の環境に固定してしまうと、環境の変動に生き延びることが困難となり、行き詰まります。

カエル族には、池で無難に生きようとする者たちと、命がけで冒険を試みる者たちがいます。冒険者のかなり多くは、田んぼや池から出て、別の水辺にたどりつくまでに落命するでしょう。なかには、ごくわずか、新たな生息地にたどりつき、生息環境を拡大する者がいます。

すべての生物は(植物も含めて)常に冒険をいとわず、生息域を拡大しようとしています。それが、種の存続する条件です。

現生人類も、20万年ぐらい前にアフリカで誕生して、その後、世界中に生息域を拡げてきました。かなりの冒険を伴ったことでしょう。未知への恐怖に打ち勝ってきたはずです。

日本人の中には、数千年~1万年前ぐらいに南アメリカや太平洋の島々から海を渡ってきたグループがあるという説もあります。潮の流れに乗れば、不可能ではないそうですが、それは、現代の視点で見たときのこと。貧弱な船で、羅針盤も地図もなく、どこへ行くのか、行った先がどのような所なのか、どのくらいの日数がかかるのか、どういう危険があるのかもわからない状況で、食糧と水を積み込んで航海に出る。そんなことがほんとうにできるんだろうか? それも、あるていど多数の人たちが日本へ着いたなら、はるかに多くの人たちが冒険に出て、ほとんどが海へと消えたはず。なぜ、そんなことを?

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カエルの大冒険を人間におきかえると、ちょうどこんな感じかも。

そういうバカげた大冒険、種の存続には重要なことではないかと思います。

人間社会にとっての冒険とは、物理的な冒険だけではないはずです。「ふつうに」生きられない人たち(ふつうという言い方が傲慢なのですが)、心身に障がいのある人たち、大きな病気をかかえている人たち、なんらかの厳しい環境や状況にいる人たち、貧困、飢餓、戦乱など、むしろ、ふつうでないことの方がふつうなのかもしれませんが、先進国のなかでも、そこそこふつうぐらいに暮らしていると自分で思っている人たちは、そういう「ふつうでない」人たちのことをあまり考えないようですが、じつは、そういう「ふつうでない人たち」こそが、人類の存続に大きく貢献していると思えるのです。そういう人たちが、好き好んでその状況を選択していることは少ないでしょう。その状況で必死に生きようとしていることじたいが、「ふつうに暮らしている」と思っている人たちを含め、人類すべてに大きな意味を持つと思えるのです。

相模原障がい者殺傷事件のあと、障がい者を助ける必要などないといった意見を見かけます。日本人はどうなっちゃったんだろうと、気分が悪くなったりもします。もちろん、人権や人間の尊厳という観点からですが、それだけではありません。人類の自滅モードが芽生えかけているという恐ろしさなのです。

やっぱり、カエルは偉大ですよ、ほんまに。
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